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asakuraTのBrogです。
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感情、その無意識下における放出
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2005/10/31
/13:25
ただいま稽古中。
場面場面でのこがえしを繰り返す。 狭い舞台を大人数で出てるシーンが多いので人の整理が困難だ。 とにかく自分の役の可能性を探る。 ひとつひとつのセンテンス。 感情、流れ、トーン、起伏、居方、表情、エトセトラエトセトラ。 自分はよくても、相手には都合悪いこともある。 感情表現もさまざまだ。 普段は、あらかじめ狙って感情の開放するその幅を試したりする。 結果がわかっててということではなく、どうなるかわからないがその覚悟というか、ある種の潔さをもって。 しかし、不意に予想外のことは起きる。 相手とのやり取りで生じるエチュード的事態でなく 内的に発生する感情といでもいうものなのか。 不意に自分が意図していない感情に肉体を奪われる。 喋っている内容や意味にそれほどの情景をあてたわけでもない。 それなのに体の反応は意図しないほうへと突き進む。 一方でもう1人の僕は驚きを隠せない。 「なんだ、これは」 別段周囲にどう見えたかなどということは聞かないので、果たして傍目には僕自身の感情の混乱はそれほどのものでなかったかもしれない。大げさな言い回しをしてるように思うかもしれない。 ただあまり頻繁には起こらない状態に自分がかるいショックを受けたのは事実。 なんだったんだ、あれは。 |
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日記 +
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ずっと一緒にいたかった
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2005/10/28
/18:54
1年くらい前の記事だったろうか。
どこかで老夫婦が自宅で亡くなった記事があった。 夫は公の老人施設に入る資格があったのだが、妻にはその資格が取れなかった。 なんとか一緒に入らせて欲しいと頼んだのだが、条件上、妻の方は施設に入ることはできず受け入れられなかった よって夫だけが施設に入り、妻は自宅に残された。 だが、老人が1人で生活していくことは困難で、結局、夫は施設をでて妻のいる自宅に戻り 2人は死をえらんでしまった。 詳細は少し違っていたかもしれない。けれど大まかにはこんな内容だった。 夫にとっては何よりも妻と一緒でなければ生きている意味がなかったのだ。むろん妻もそうだ。 しかし、制度の前で人の「想い」は意味を持たない。 僕たちは、そんな世界で生きているのか。 |
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未分類 +
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NO ONE'S BLAME
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2005/10/20
/15:24
![]() 日常に潜む悪意。 それは意図的あるいは意識的でないもの。 あの人がああいったから、こんなことになって、嫌な思いをした。 あの人がこうしたから、あの人がこんなことして、事態が悪くなった 生きていく中で、だれも予めその因果関係を知るとこはできない。 あたかも、演劇で物事を客席から見るようなことはできないのだ。 EVERYONE'S BLAME, NO ONE'S BLAME 来月、かねてより参加している enji の公演がある。 今回は結婚式場を舞台にしたライトコメディだ。 そこでは、人々がすれ違い、戸惑い、四苦八苦しながら次々生まれるトラブルを乗り越えていく。 そこに、面白さや時にほろ苦さが感じられるというわけだ。 だれにとっても見やすいドラマとなっている。 今のところ稽古真っ最中である。 この芝居と繋がる事かもしれないし、おそらくはぜんぜん関係ないかもしれない。 いまはそれは僕にもわからないが、漠然と頭に浮かぶことがある。 それが、内在する不可避の悪意の行方だ。 見ている人は、客観的に前後関係を総合的にみているわけだから、そこで何がどうなって、つまり誰のせいで、どの言葉で、どうやって、といった因果関係をみることができる。 僕の意識は因果関係はもとより、そこでややもすると感じるであろう悪意がどういうものなのかということだ。 だれも避けることはできない。 悪意が不可避たる必然。 でも、人はあらゆる思いやりや優しさや気遣いや想像力を駆使してそこから逃れようとする。 もしくは、おそらくはそこに悪意が発生していたことすら気づかない。 EVERYONE'S BLAME, NO ONE'S BLAME この世界はそうして生まれる。 ※写真「あなたのかわりに」 |
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未分類 +
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tender is ・・・
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2005/10/19
/15:29
![]() よくあるエチュードで、相手を怒らせるとか相手を褒めるとか笑わせるとか・・・・というのがある。 この場合、相手は自分に対してどう仕掛けてくるかわかっているので、なかなか思うようにことは運ばない。 たとえば、「相手を怒らせる」時、安易に「バーカ」とか「でぶ!」とか言っても、向こうは自分を意図的に怒らせにかかってくる前提があるから、ちょっとやそっとのことじゃ怒らない。 しかし、その後「相手を褒める」時になると、同じように安易に「いい人だね」とか「さすがだよ」なんていうと、怒らせるのと同じ働きでまったく相手には効かないのだが、逆にこれが相手を怒らせることになる。 当たり前っちゃ当たり前なんだが、以前これを体験したときは「へーなるほどね」と思った。 (例)「そんな風に思ってたんだ」 「や、違うって、君はほんとにとてもいい人だと思うよ」 「いや、もういいよ、わかったから」 他意なく普通に褒めれば褒めるほど、相手は不快感を増していく。 一方、生きていく中で、人はなるべく「褒められたい」って思うものだ。 もちろん、そうじゃない人もいるだろうが、そりゃ貶されるよりは、褒められたいものだ。 自分やってきたことが認められたと思えるのだから、そのほうが、モチベーションもあがるだろう。 しかし、無造作に褒めることはまったくの逆効果になってしまいがちだ。 褒め「方」が難しい。 それはたとえば、本当にそう思っていたとしても、口にした途端、言葉にした途端、自分でもまったく異質な−それこそ台詞のようなうそ臭いものへと変貌してしまう。 的確に相手を喜ばすのは、非常にやっかいだ やさしさがそうであるかのように。 ※写真「幻チラシ。」 |
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たけおくん
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2005/10/18
/19:14
![]() 先日友人がうちに来た。 缶ビールと缶チューハイでこじんまりとカンパイ。 とりとめなく演劇の話題から、人としてのありかた、はたまた郵政や企業買収なんて時事ネタまで。 と、文字にするとしごく堅い話してるみたいだけど、いたって普通に。 普通にそんな話ができるヤツも稀有なんだろうか。 もちろん、考えが食い違うところもあるし、合うところもあるし、合っていると思ってるけど実は違っているかもしれないと 思うこともある。 普段はちゃらんぽらんなくせに、こと演技にかんしてはむちゃくちゃ真剣に考え取り組んでいるのは すげえなあと思うと同時に、そんな小難しく考えんでもとも思う。 でも、基本的なラインは僕と似たところがあるのだと思う。ってことは自分も小難しく考えてんのか。まあ、そうだろうな。 「結局、人間がでるんだよ」 そう、もちろん見えない人にはまったく見えないし、びっくりするぐらい勘違いもするし、思ったように伝わるとも限らないし、果たして見えたからどうだってこともある。 だけど、見える人にはみえるんだな、これが。とは思う。 生きていることが、そこに集約するように。 ※写真 「このタイトルにしたかったんだけど。」 |
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